メンタルマネジメント

日本人の気概と誇りを取り戻す

自分の国を守るために命がけで侵略者に立ち向かうウクライナの人々の気概と 勇気は平和ボケ日本(人)に覚悟と決断を迫っています。果たして日本人は覚醒 したでしょうか?

目前の危機から目をそらし、見て見ん振り、知って知らん振りして問題を先送り する悪しき風潮がはびこり、更に被害者意識が責任転嫁の蔓延をもたらし、自国 の安全も他国に依存して恥じない精神の荒廃をもたらしています。

現下の日本はあたかも「骨粗鬆症」の如くに見えます。表面は何でもない正常な 骨に見えますが、中身はボロボロ、スカスカ。戦後の日本(人)が知らず知らず のうちに喪ったもの、それは「気概」であり「日本人としての誇り」でしょう。

当錬成塾は、‘人は何のために仕事をするのか? `‘生きる目的は? ‘‘真の幸せとは? 等々古典的な疑問から発して、真実の自己の究明、物の見方考え方等々、人間の本質 根底にわたる問題について学習し、今できる覚悟と決断を促すものです。

従って当錬成塾はあえて「みたま」の解明に触れています。「みたま」(超越的無意識= フランクル)という未だ未知の世界に踏み込まなくては、人間の真実が究明できない からです。しかしそれはほんの一部分に触れたにすぎません。

「みたまって新興宗教の類か?」とお思いの方もあるかもしれませんが決してそうでは ありません。それより遥かに高次の世界であり、また誰もが自らの身の内(へその奥) にもっているものです。(神仏は外にではなく身の内にありと言うではないか。)

この機会に「もう一人の自分」「真実の自己」と再会して頂きたいと願うものです。

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「本当の自分【超越的無意識】=魂(みたま)の世界

仏教では意識を第六識と教える。これは眼耳鼻舌身という五蔵の次に来る からである。この意識の下の無意識界を上から順に「末那識」(まなしき =第七識、「阿頼耶識」あらやしき=第八識、阿摩羅識(あまらしき)= 第九識と呼んでいる。有名な心理学者のフロイトが取り上げたのは第七識 までである。この七識は人間の迷いの根源であると言われる。 ところがフロイトの弟子のフランクルは、アウシュビッツの収容所で多く のユダヤ人の言動を観察している内に、全く無私の精神から他人に代わっ て静かに死んでいく人があることを知り、フロイトの言う無意識よりも 更に深いところにある無意識の何かが彼をしてそうさせるのだと気づき それに「精神的無意識」「実存的無意識」「宗教的無意識」と名付けた。こ の人間の心の一番底にある宗教心を目覚めさせるのが本当の人間教育である。

「魂」の世界を自覚する

世界は今対立し分裂しています。
この傾向は今後ますます激しくなり、第3次世界大戦に突入するかもしれません。知性文明の限界という人もいます。

知性は分別です。対象の世界です。差別の世界・千差万別の世界そのものです。知性のあるところには必ず対立がある。二元多元がある。自分と自分に向かって立つものとがある。それ故、知性(理性)は霊性によってはじめてその働きを全うするものである。霊性は統一の原理であり、大智大悲円融無碍の場所である」。

「霊性は統一の原理」という言葉でピンとくるのは仏教を受け入れ神道との両立に 成功した日本人の叡智です。これが知性を超えた魂(みたま)の働きなのです。

そもそも古来の日本人は、みたま通りに平穏に仲良く助け合って生活していたよう です。ところが時代が進むにつれて頭の知恵が働くようになり、次第に埃(因縁) を積むようになったのだといいます。

残念ながら現代の我々は、このみたまの働きが退化し(存在すら忘れていたのだか ら退化しても当然)知性のみに依存しているのが現状です。フランクルが発見し、 精神的無意識と呼んだ素晴らしい人間性(みたま)を呼び覚まさなくてはなりません。

日本人は「やまと魂」と称して、すでにそれを発揮している人は大勢います。特に 3.11等の危機に際して発揮された日本人の素晴らしさは世界中に感動を呼びました。

明治天皇の御製に
「敷島の やまと心の 雄々しさは ことある時ぞ 現われにけり」
とあります。まさに日本人の面目躍如ですが、これがみたまなのです。
そのためには如何にあるべきかを学習したいと思います。

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